2010年 07月 22日
自分史5 |
バブルの最高潮から終焉に向かい僕は社会に出ました。
あ、いや、その前に再びレスキュー隊になりたいと、
真剣にもう一度やり直そうかと考えたことが一度だけありましたね。
1985年8月12日18時56分、日本航空123便、羽田発伊丹行、
群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落。
乗員乗客524名のうち犠牲者520名、奇跡的な生存者は4名。
犠牲者は日本国内で発生した航空機事故では最多。
単独機の航空事故でも世界最多。
後に『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれた大惨事。
夏休みだった僕は帰省の最中、群馬県内を走りながら
ここからそう遠くない所で大惨事があった。僕には何も出来ない、けれど何かしたい。
そんな衝動とジレンマを感じたのを良く覚えています。
今年でもう25年も経つんですね。改めて、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
バブルの頃の東京の建築業界は(建築業界だけではないと思いますが)今から考えると
異常な世界でした。けれどそれが普通だと思えた日常。
僕なんかはまだペーペーでしたから本当のすごいところは見ていないのかも知れませんが
真面目話、当時の型枠大工さんの棟梁の“日当”が当時の僕の“月給”の倍以上、
勤めていた設計事務所の所長のお付でゼネコンさんから飲みに連れて行ってもらった
時のお会計がウン百万。どう考えても異常な世界です。
ただ、もう再びは無いであろうこの国のバブルを終焉近くとは言え見れたことは
運が良かったと思います。
2級建築士、学科の一次試験は独学で受かりました。
学科合格発表の日、某資格学校から勤め先に電話があり(どうやって調べたんでしょ?)
二次試験の製図対策講座を見学しに行くことに。
前回の自分史にも書きましたが、時は手書き図面の時代。
かつ、僕は図面のスピードとクオリティにはストイックに拘っていました。
だから、正直通わなくても合格する自信はありましたが、休日出勤を避けるための
口実を作るために入学。(笑)ま、割と余裕でした。
バブルの時代、僕みたいな人間は重宝がられて(あるいは便利に使われていたのかも・・・・)
大手の設計事務所、マンションデベロッパー、世界的にも有名な建築家の先生の事務所、
様々なところに数ヶ月単位で出向に出させられましたが
それがまったく苦ではなく、むしろ色んな物を見れ、色んな人と話せ、世界が広がり楽しくて
仕方がありませんでした。
1級建築士の受験資格が出来る25歳になる歳、
もう二度とあんなにひた向きになれないと心底思えるほどの、
何かに突き動かされる様に寝る間も遊ぶ間もすべて削って試験勉強をしました。
唐突に、続く(笑)
あ、いや、その前に再びレスキュー隊になりたいと、
真剣にもう一度やり直そうかと考えたことが一度だけありましたね。
1985年8月12日18時56分、日本航空123便、羽田発伊丹行、
群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落。
乗員乗客524名のうち犠牲者520名、奇跡的な生存者は4名。
犠牲者は日本国内で発生した航空機事故では最多。
単独機の航空事故でも世界最多。
後に『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれた大惨事。
夏休みだった僕は帰省の最中、群馬県内を走りながら
ここからそう遠くない所で大惨事があった。僕には何も出来ない、けれど何かしたい。
そんな衝動とジレンマを感じたのを良く覚えています。
今年でもう25年も経つんですね。改めて、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
バブルの頃の東京の建築業界は(建築業界だけではないと思いますが)今から考えると
異常な世界でした。けれどそれが普通だと思えた日常。
僕なんかはまだペーペーでしたから本当のすごいところは見ていないのかも知れませんが
真面目話、当時の型枠大工さんの棟梁の“日当”が当時の僕の“月給”の倍以上、
勤めていた設計事務所の所長のお付でゼネコンさんから飲みに連れて行ってもらった
時のお会計がウン百万。どう考えても異常な世界です。
ただ、もう再びは無いであろうこの国のバブルを終焉近くとは言え見れたことは
運が良かったと思います。
2級建築士、学科の一次試験は独学で受かりました。
学科合格発表の日、某資格学校から勤め先に電話があり(どうやって調べたんでしょ?)
二次試験の製図対策講座を見学しに行くことに。
前回の自分史にも書きましたが、時は手書き図面の時代。
かつ、僕は図面のスピードとクオリティにはストイックに拘っていました。
だから、正直通わなくても合格する自信はありましたが、休日出勤を避けるための
口実を作るために入学。(笑)ま、割と余裕でした。
バブルの時代、僕みたいな人間は重宝がられて(あるいは便利に使われていたのかも・・・・)
大手の設計事務所、マンションデベロッパー、世界的にも有名な建築家の先生の事務所、
様々なところに数ヶ月単位で出向に出させられましたが
それがまったく苦ではなく、むしろ色んな物を見れ、色んな人と話せ、世界が広がり楽しくて
仕方がありませんでした。
1級建築士の受験資格が出来る25歳になる歳、
もう二度とあんなにひた向きになれないと心底思えるほどの、
何かに突き動かされる様に寝る間も遊ぶ間もすべて削って試験勉強をしました。
唐突に、続く(笑)
by ina0817
| 2010-07-22 09:38
| ノンカテゴリー