2015年 01月 17日
トラウマ |
もう何度も書いていますが・・・
10.23中越地震のあの日。
ボクは翌週から始まる柏崎の現場の下見を現場担当の反町と済ませ
高速道路を下りて間もなくあの強い第一波を経験します。
最初はなんだかわかりませんでした。
パンクかも。
それが正直な所でした。
それが足元で起きてしまった大地震だと知った後、
全社員に、
『家族を車に乗せた上で出来るだけOBクライアントさんを回ってくれ。』
そう指示を出し、ボク自身も一度家に戻り、家族の安全を確認した後
夜が明けるまで、長岡市内中を駆けずり回りました。
3.11東日本大震災のあの日。
ボクは高速道路上であのゆったりした、気持ちが悪くなる位の揺れを経験しました。
黒崎サービスエリアは騒然としていました。
車載のテレビを点け、予想に反して震源が東北だと知り、
黒崎ETC専用出入り口でUターンし、ボクは福島に向います。
その時点で郡山に住む息子とは連絡などつくはずもありません。
高速道路でどこまでいけるかわからない。
一般道で何時間掛かるかわからない。
でも、
とりあえず行かなきゃ。
郡山近辺まで行ければ歩いてでも行こう。
何かに突き動かされるように、なんの躊躇も不安も無く、郡山に向います。
津川から一般道で郡山に向ったのですが
途中、暗くなりかけた会津から猪苗代に掛けての国道上で
サイレンを響かせながら、渋滞の車列を追い越していくパトカーや消防車。
あっちからも、こっちからも郡山方面に向かうものすごい数の緊急車両。
その光景、あるいは車のラジオから流れる
FM福島の男性パーソナリティの、泣き叫ぶような
『海には近付かないで下さい』
その声のせいなのかもしれません。
既に息子の無事は確認できていたのに
渋滞にはまってしまっていたボクは、自分の涙を止める事が出来ませんでした。
なんで泣いてるのかはわかりません。
でも、ただただ、涙が止めども無く溢れてきました。
郡山からの帰り道はまったく覚えていないのに
その時の情景、ラジオから流れる声は今でも鮮明に覚えています。
被災していないボクですら、トラウマの様に。
今日、阪神淡路大震災から20年。
様々なトラウマを抱えながらそれでも立ち上がる人たちに敬意を表すると同時に
お亡くなりになられた方々、そのご家族に哀悼の念を捧げます。
ボクには、“どんな地震が起きても”壁紙一枚破れない家は造れません。
けれど、建物で人の命を奪わない。
これが、
ボクの、ボク等、士業(サムライ業)を生業とする人間の最低限の仕事だと信じています。
10.23中越地震のあの日。
ボクは翌週から始まる柏崎の現場の下見を現場担当の反町と済ませ
高速道路を下りて間もなくあの強い第一波を経験します。
最初はなんだかわかりませんでした。
パンクかも。
それが正直な所でした。
それが足元で起きてしまった大地震だと知った後、
全社員に、
『家族を車に乗せた上で出来るだけOBクライアントさんを回ってくれ。』
そう指示を出し、ボク自身も一度家に戻り、家族の安全を確認した後
夜が明けるまで、長岡市内中を駆けずり回りました。
3.11東日本大震災のあの日。
ボクは高速道路上であのゆったりした、気持ちが悪くなる位の揺れを経験しました。
黒崎サービスエリアは騒然としていました。
車載のテレビを点け、予想に反して震源が東北だと知り、
黒崎ETC専用出入り口でUターンし、ボクは福島に向います。
その時点で郡山に住む息子とは連絡などつくはずもありません。
高速道路でどこまでいけるかわからない。
一般道で何時間掛かるかわからない。
でも、
とりあえず行かなきゃ。
郡山近辺まで行ければ歩いてでも行こう。
何かに突き動かされるように、なんの躊躇も不安も無く、郡山に向います。
津川から一般道で郡山に向ったのですが
途中、暗くなりかけた会津から猪苗代に掛けての国道上で
サイレンを響かせながら、渋滞の車列を追い越していくパトカーや消防車。
あっちからも、こっちからも郡山方面に向かうものすごい数の緊急車両。
その光景、あるいは車のラジオから流れる
FM福島の男性パーソナリティの、泣き叫ぶような
『海には近付かないで下さい』
その声のせいなのかもしれません。
既に息子の無事は確認できていたのに
渋滞にはまってしまっていたボクは、自分の涙を止める事が出来ませんでした。
なんで泣いてるのかはわかりません。
でも、ただただ、涙が止めども無く溢れてきました。
郡山からの帰り道はまったく覚えていないのに
その時の情景、ラジオから流れる声は今でも鮮明に覚えています。
被災していないボクですら、トラウマの様に。
今日、阪神淡路大震災から20年。
様々なトラウマを抱えながらそれでも立ち上がる人たちに敬意を表すると同時に
お亡くなりになられた方々、そのご家族に哀悼の念を捧げます。
ボクには、“どんな地震が起きても”壁紙一枚破れない家は造れません。
けれど、建物で人の命を奪わない。
これが、
ボクの、ボク等、士業(サムライ業)を生業とする人間の最低限の仕事だと信じています。
▲
by ina0817
| 2015-01-17 09:14
| 雑感
|
Trackback
|
Comments(0)